コロナウィルス
みなさま、こんにちは。
これは載せるかどうか迷ったのですが、
私なりに色々なニュースを読んで「感染拡大の危険性/不要不急という言葉に振り回される/政府へのかかわり方について」を書きました。
感染経路情報・治療方法が常にアップデートされている状況の中、
医療関係者の皆様は分からない事が多い中治療にあたってくださっていますし、
その医療関係者の臨床(だけとは限りませんが)情報に基づいた(だろう)常に変わる推測に一般人は右往左往される日々です。
【感染拡大防止のための、各人が行うことについて】
●危険度について
感染要因(クラスター)
・換気の悪い密閉空間
・人が密集している
・近距離での会話や発声が行われる
⇒この3条件が重なる場所は感染の危険性が高く、
また2つだけであってもいつ3つの条件が揃うか分からないから気をつけろ、ということですね。
●不要不急という考え方について
緊急性と重要性、優先順位の付け方
主催側は危険性の高さで優先順位をつけるべきだが、参加者側は「不要不急」かどうかで優先順位をつけるべき。
主催側が中止・延期したとしても、それは危険性があるからであって、決して「不要不急」だからではないんです。
不要不急ってどういう事かと言うと、第四領域。
文化や教育はどこかと言うと、第二領域なんです。
第四領域ってどんなものがあるかっていうと、会議中に寝てたり、隣の人とダラダラ「今日の晩ご飯は何でしょうなぁ」てお喋りするような事。(て思うんだけど) .
だからライブや舞台は不急だけど不要じゃない。
感染リスクが高いとみなされて自粛したのに
「自粛した→不要不急なものだ」みたいな結論に流れるの本当に嫌。
不要不急な用事は個人が決めるもの。
感染リスクの高低によって開催有無を決めるのが主催者。
という切り分けの意識があれば良いのに。
何か決行したとこによる叩かれる現象はやめてほしい。
開催はされるが自分は参加しない、という選択肢を持てれば問題ないのでは?と思います。
自分の話ですが、今回コロナウィルス感染拡大防止のための不要不急の外出を控えろと要請があったけど旅行してみて。
一人旅、人が集まる場所ではなく田舎に行く、今月いっぱい在宅なので何かあっても職場への影響力が抑えられる、等リスクとしては低いと判断しました。
また、「不要不急の外出は控えろというのに補償がないために出社しなければいけない」(恐らく大半の方がそうだと思います)
という関西の友人を無理やり田舎に連れ出したかったのもあり、「不要不急」とは判断しなかった。
経済が回らない状況に疑問を抱いた。
行ってみて分かったけど、それなりに人はいる。
などありました。
うん、まとまってないけど。
だからといって、息抜きのためにどんどん出かけよう!とは一ミリも思ってないですよ。
周りに基礎疾患持ちや高齢者・乳児など免疫力が弱い人はいないか、
出かける場所は上記の3つの条件が揃わないといえるか、など考えてから行くべきかと思います。
現在は不要不急というより、不急な外出は避けるべき、という考え方にシフトしてますね。
本当、なんだかな。って思います。
結局、たくさんの本当かどうか分からない情報から判断して自分で決めて動くしかないのだと思います。
「一次資料、根拠はどれか」という点と、
「その数字を解釈するためにはどんな経験・見方が必要か」という点と、
「その事実を知った上での感情・感想」は、
全て別に扱うべきなんですが、パニックっていうのはそこがごっちゃになってるなと感じます。
世間を見ると0か100か理論になりやすく、考えが止まり感情的になりやすい。
経済も最後は感情で動きます。
【政府へのかかわり方について】
●現在の各国の政府の対応と日本
正直、政府は正論を言ってるというか、当たり障りのないことを言ってるなぁと。
自粛要請に渡航自粛に…粛々とお役所仕事をしてる感じ。
でも、責任をとってフォローをするとかいうリーダーシップがないなと感じる。
公務員の友達も多いですが、上に振り回されていて大変そうです。
「今の政党が」なんたらこんたら、という議論はあまり乗り気ではないし詳しくもないんだけど、
「国民は見てるぞ」という抑止力を出すためにも皆選挙行くべきだとは思ってます。
どこに投票しても良いし感覚で選んでも良いから、投票という行動は起こした方が良い。
動いたらなんか分かるかも知らんし。
あと物凄く普通な話をすると、
コロナウィルスのワクチン開発は今もされているから来年とか再来年には出てくるんだろうなと思う。
でも今の騒動は情報に踊らされるパニック発端で、それは人類歴史上戦争の始まりはいつもそうだからなかなか無くならない。
滅せなきゃいけないのはコロナウィルスではなく本当はそっちですよね。
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