アクセサリー販売を始めることによって私が見つけたこと
20代の頃私はリーダー像と言うものを探していました。
自己啓発本を読んだりビジネス書を読んだりして「俺についてこい」と言うリーダーになろうと、そういったリーダー像が唯一のものだと、どこか思い込んでいました。
なぜなら私にはやりたいことがあったからです。
そしてもっと向上していきたいと思ったからです。
けれども私には「俺について来い」というリーダー像は合いませんでした。
私は昔から「人と人とは違いがあって、その違いを認めて敬意を持つところから関係がスタートする」と自然と思っており、だから人には上下はなく横並びだと考えるところがありました。
今も、例え上司であっても「上司という役割を担っていて、その責任を果たしその対価を貰ってる人」という位置付けでしかなく、尊敬はしますが自分より上とか下とか考えた事がありません。
けれども街にはリーダー像が溢れている。周りの人よりも一段上の。
そう感じました。そして私はずっとモヤモヤしてました。
そんな中、アクセサリー販売をしてみないか、と今の委託先のお店の人から声をかけられました。元々そのお店の客として来てた事もあり、雰囲気も好きだし、好きな作家さんもいるし、とアクセサリー販売を始めました。
アクセサリー販売を通して変わった事は沢山ありますが、まず「自分の感性が受け入れられる世界があるんだ」という発見でした。
子供の頃から自己評価は低く、チャレンジ精神もあるし逆境に強いけど、そんな自分を正当に評価できる自分ではありませんでした。
地元では私の感覚や感性は珍しいと言われてましたし、話に共感してくれる友達は少なかったです。
けれど、ここだと共感してくれる人を見つける事ができる。大きな発見でした。
そして、「他の人の生活の中に溶け込める」これも大きな発見でした。
私はずっと私自身の感性を媒介として、気持ちの良い世界を作りたがってました。
私が思い描く「気持ちの良い世界」とは、人が定義した枠組みによって上下が決められているように思えるけれどもそんな事はなく、皆誇りを持ち悔しい思いをし、大切な人がいて譲れないものがある、寝て食べてクソして怒って恋して泣くんです。人種宗教政治国境男女関係なくです。
その普遍さ、だからこそ「同じ枠組みの中の人間」と思ってる人であっても全く違う人間である事、違いがあることを認め合い尊重しあった上でのコミュニケーションをとること。それをお互いが満足する形でし合う事。
それが「気持ちの良い世界」です。
それを実現する上で私に何ができるか?を真剣に考えたのが20代でした。
結論、何もできなかった。
無力だな、と思うことばかりだった。
踊りも10年以上やっていましたが、舞台の上で、観客に向かって何かを「与える」のは違和感があり遠ざかりました。私は踊りを通じて皆がその世界に参加する媒体になりたいとずっと思っていた。けれど観客は見てるだけだった。観客自身が主体となって動く事はなかった。あぁ、表現方法が違うんだな、と思いました。
アクセサリーは、そのモノを通じて、主体である「あなた」に働きかける事ができる。それが嬉しいなと思いました。
あなたが主体であり、そのストーリーの中に、私が媒体となって表現されたモノが組み込まれ、新しいストーリーを作っていく。
そのほんの少しのお手伝いをさせて貰えたら。
今はその手段をアクセサリーとしていますが、その他の手段が気持ちいいのなら、そちらにシフトしたいとも思ってます。
当分はアクセサリーを作るでしょう。
でもその先は分かりません。
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